戦後処理

日記

灼熱を目の前にして

気付いたことがあるので徒然なるままに書きます

縦にも横にもでかい感情を許容することにした

私は至って普通の人と思うことで自分を卑下していた訳ではなくて自分の扱い方を考えることを放棄したかったのかもしれない。特別秀でた部分もないし、特別人情に厚いわけではないし、人望もあるわけでもないから自分は普通の人間である。だから何かを続けるしか術がない、礼儀正しくいるしかないと思っていたがそれと前述の話はまったくの別物ということになんか今気付いた。別に普通の人って思わなくてもいいし卑下しなくてもいいし奇跡の天才だと思わなくてもいいって思った。私の動きを理解して自分で許容していくことが出来ればこの袋小路からは本当に抜けられるんだ

失敗しないと分かんないもんねと親に言われたことがある。失敗しなくてもわかることもあるかもしれないけど絶対的に失敗して学んだことの方が多い。失敗は別にしてもいいと思う。自分のできる限り理性を保って人に迷惑をかけるかもしれないけどやりたいようにやるのが私なはバランスがいいのかもしれない。心配をしすぎるから。誤解を生むようなことだが。

仕事して思った、私は人が絡んだらその人のためになりたいと思って一心に自分のエネルギーを火炎放射器のように放出してしまう、最中や事後をコントロールできればそれでも問題ないと思う。その莫大なエネルギーを出してしまうという自分の特性は仕事だけじゃなのではないかって、嫉妬 怒り 悲しさが混ざった混沌とした感情がバカでかくなったことを5分くらいで自覚した。潜在的に報われなかったと感じた故に生まれた感情がでかくなりやすい。ダサいけど自分可哀想と思って泣いてしまうことも多い。でもそれが得体の知れないものではなくて、自分から生まれて、そのデカさが他にも良い方に通じていることを考えたら、もう許容した方がいいなって思った。ああいまデカい感情出てきました。しょうがねえなって。これはしょうがねえものって。これから楽になっていくかもしれないし、ならないかもしれない、ね