戦後処理

日記

思い出迷子にならないように

一ヶ月前に胃を悪くしてから疲れやすくなったり、背中が痛くなったり、急に踊り出したり歌い出したり笑いだしたり、ともすれば夜に頭が痛くなった翌日の昼間には理由も分からず泣いてしまう。そして体が重くなり、本当に動きたく無くなってしまって。眠りにつく時、このまま起きることはないんじゃないかと思うくらい、目を閉じ眠りにつき明日の陽の光が指す朝を迎えられないのではないかという得体を知れない不安と諦め、そう諦めていたら多重夢を見て、目が覚めて、今度は日の入りが何度もループする夢を見た。落ち込む原因があった訳でもなく、途端に沈んで死にたくなった訳でもない。分からないけどパチッとスイッチして、どこまでも続く道を砂利が地面と擦れるおとをさせながら引きずり歩きをするような、低空飛行のような、終わりが見えない。

 

転じてくだらない事でずっと笑っている時もある。最近はその、躁のスイッチが、あ、今入ったというのがわかる時があった。それが今日までつづいて、頭の中が喚いて、久しぶりに頭の回転を故意に抑えた。

 

明日は卒業式である。

1ヶ月ぶりに山形に来た。不思議な感覚。4年間だけ、地元でもない田舎に住んでいた。そこから離れて、住人ではなく観光として、今山形にいる。へんなかんじ。自分が山形に住んでいたことが、本当にあったのだろうかって、少し不思議に思いその後に鑑賞にひたる。住人ではなくなったからには長く居るようなところではない。私は明日早々と山形を去るのよ。

4年間の終止符を打つである。最後の夜なのである。高層のホテルから街を一望する。いろいろあったのだろう。他人事みたいだけど。今とタイムラインが違うように感じる。過去に置いてきた時間軸。また新しい時流に乗って私は生き続ける。泣きながらでも、そろそろと、歩んでいきたい。これからは。これからも。

私を作ってくれた時間たち、山形、

thank you all .