戦後処理

日記

植物や本たち、この暮らしの事情を誰よりも知ってる

アブサン、ロックで

興奮と平安、安寧

暗黙の了解、バイナルとバイナルのあわいの沈黙

大きい声で話さなくてもいい

時間の積み重ねの事情を、みんなでの大事にしてる

素敵な場所を、残しておきたい

頑張るんじゃなくて、沿う

 

6時まで起きちゃった

早いんじゃなくて遅いけど、キッチンで偶然会った

眠れない夜は1人で過ごさなくてもいいよ

朝刊を届けるエンジンの音も、白い明かりが灯る新聞屋さんも、絶望しなくていいよ

 

京都、瞬きする間に終わった

って福井に帰ってきてから友達に言ったら、「瞬き長ー」って言ってた

長い瞬き

その間に福井の友達たちが出てくる夢をみた

はこち(箱石)と2人で時間を過ごすのは初めてだった

また近いうちに行こうね

おうち

物語を読むフェーズから自叙伝読むフェーズに移り変わりました、我still読書の秋です

自叙伝みたいな本を読んだ時に見えてくる一人称視点の実家像が見えるのが面白いと思ってます。

その度に、自分のif像みたいなことを結構考えます。これって何度もこの思考回路に達する度にこの時間無駄かもーって思ったりしますが、それでも度々やってしまう。この道を歩んでいたら、みたいなこと、時に後悔が付きまとうのでやめた方がいいんだろうなと思っている。そういう気持ちを持っているとゆっくりやめる気持ちが湧いてくるんだろうなとおもっているところはある。

話は戻り、自分の家庭の豊かさやそこから享受してきたものについて考えてみたいと思ってきました。

私の家は元々転居を度々考えなければいけないようなかんじなのですが、私が幼稚園生くらいの時に今の実家が建ち、そこからは家族みんなで動くみたいなことはしていない。家は本当に和なところにあって、山が一望できるような立地。大学を選ぶ時に、東京に憧れる気持ちはあったけれども東京に住んでいる自分が想像出来なさすぎて、そちらの方面は選ばなかった。そして大学もまた山を一望できるような立地のところで、大学生の時にふと「自分って雪が降らない場所に住んだら狂ってしまうんじゃないか」と考えたこともあった。外に出てみて自分の地元の地域って好き!って思うのは自分的に良しとしようという気持ちがあったので、自分の地元がとても好きだという気持ちがあっても自分で気付かないふりをしようとしてて奥の奥にしまって置いてた気がする。実際本当に好きなんだと思う。趣味に生きる大人たちが地元にいることもその気持ちの背中を押している気もする。

幼い頃から美術展に連れて行って貰えた環境は今の自分を明確に形作っているとおもう。今はれんが美術館になっている場所で、2005年に奈良美智が個展 A to Zをしていたところに4歳の時に連れて行ってもらった。ぼんやりと覚えているのは、会場の中に小屋のような建物がたくさんあったなということ。その中に彼は作品を展示していて、それは、ずっと自分が空間作りたいと思っていることの発端なんだと思う。私が生まれたタイミングが良かったからか、青森県にある美術的文化に触れさせてもらえる機会が多かったことはとてもありがたいと思っている。感想で討論するまではいかないものの、家族で美術館に行って、なんかよかったよねということを感じられることは豊かだと思う。あまり親は意識していないかもしれないけれど、私が美術に本格的に興味を持つまでにはそういったバックグラウンドがあった。

父親は電気工作などに造詣がある。母親は書道をやっていたり手芸をしていたりして手を動かすことに造詣がある。だから私がものを作ることに関して結構シビアだったりする。父親の趣味に関してはまだまだ分かり得ていないところがたくさんあるから面白いと思う。テレビ台の引き出しの中にPS4-5にかけてのソフトがたくさんある。どういうゲームが好きなの?と聞いてみたところ、「世界がウイルスに苛まれていく系」が好きらしい。趣味の言語化がすごい。一息で言ってたからな。家族でテレビを見ていて、新作映画のCMが流れていたとき、これみたいな〜と私が言っていたところ、父は休みの日にそれを1人で見に行ったらしい。聞くまで知らなかった…、そういうひたむきさがある。母は約反対方向に意識があり、楽しいこととかおいしいこととかはみんなで共有したいよね、というところがあるようで、自分が直接興味のない映画だとしても家族がみたい映画だったらということで一緒に見に行くことが多い。大抵そういう時は母と弟と私で映画を見に行って、帰り道の車の中で感想を言い合ったりする。その時間が母は好きらしい。わかる、いいよね。

と、そういう父と母の上で私がいるってわけだ。両親、という自分の立場からみた2人ではなく、人として両親2人を考えた時に見えてくるところは面白いなと思います。

そういうところを考えたくてこれを書きはじめました。改めて考えてみないとありがたみに感謝することって難しいからね。今回はそういう回でした。

Alone

謝っても五月蝿いと言われることがある。高校生ぐらいからそういう機会が増えた。しょうがないことである。謝るという行為はこちら側の勝手であり、許されたいという気持ちも同様である。私はこの先許せないと思うことがあるのだろうかと今打ってて気付いたけれども、許せない 今の私の経験値からすると許せないことはそういえばあった。大人になれば許せるのだろうか。人それぞれ色々あるからなで許せることが増えるのだろうか。度量の広い人間になりたい。でも怒る時は正当に怒りたい。でも怒るというのは二次的感情で、その前に発生した感情を伝えて話し合って解決したい。でも話し合えない時だってある。でも話し合えないという関係性は良くないから、話会える人たちと一緒にいたい。でもが続く。そして私はこの思考の中で自分が許す立場になる方に思考をすり替えている。これが私がよく親しい人に言われる被害者意識が在るということなのだろうか。被害者意識ってなんだろう、分からないな。被害者意識がなくなればどんな感じになるんだろう。親しい人以外に父親からも私は被害者意識が強いと言われたから、本当にそうなのかもしれない。

なめられたくないと思い逆鱗に触れられた時はちゃんと怒るようにした。でも理由を話したら逆ギレされると思いそういう時は黙るようにした。そして逆に相手を不快にさせてしまった時は謝る。謝ってもうるさいと言われた。何回も謝るなと言われた。私が思うに双方なめられたくないからきっかけがある時に強く出るという歪んだことになっていると思う。よくない側面だと思う。そして私は今日不快にさせてうるさいと言われ嫌な顔をされた(させてしまった)ため、辛くなってしまった。こういうのが被害者意識なのだろうか。そして現実逃避。こんなんでいい大人になれるのかな。セクシーでいい匂いがするあきらかにいい大人に。なれるのかな。私の寿命は40代らしい。それまでに、なれるのかな。私の尊敬する大人たちはみんな40代を超えている。子供のまま、中途半端な大人なまま人生を終えるのかな。

far away

貯金をしている 貯金箱にね 銀色以上 即ち50円以上の硬貨を貯金箱に入れるのが最近の趣味

お金が溜まるだけではなくお金をあんまり使わないようになる 錯覚かもしれませんが 楽しいことだよ

以前の更新からだいぶ経ちましたが、それはそれは激動の数ヶ月間でありました。最初から今に至るまで話すと疲れるし私は話が横道に逸れがちなので話すことはちょっと難しい

一つだけ言えることはどうにか生きてるし、目標があるということ。冒頭の貯金箱はラブボと共に貯めているんだけど、1人で「10万円溜まる」みたいな500円貯金したいなって思ってる。

自分がしている行動や考えについて話を聞いてもらえる機会があった。そしたら「愛だね」って言われて、愛になってたのか、とほんのり嬉しかったし、心に染み入った。話を聞いてもらえてよかった。本当に。

閑話休題、私の現段階でのポートフォリオはアートに寄っているから、あまり商業的な広告向きではない。でも、ポートフォリオの冒頭にデザインでなにをやりたいかを文章でかいていたところを見てくれた企業があって、ポートフォリオに載っている作品とは趣向が違うけどデザインの業務委託をさせてもらえることになった。ありがたいことだ。私はそういう、何故そういう行動をしているのかとか、そういった目的を言語化して伝えることもデザインと同じくらいやっていきたい。

色々あったことを全部書かなきゃ煮え切らない気持ちもあるけれど、やっぱりかききれない。

だから今思っていることを書きます。

私はラブリーボーイを旅行に連れて行ってあげたい。大切にしてくれている人を大切にしたい。怒られることを恐れずにいたい。自分の理解を大切にしてそれを人に伝えていきたい。続けることを出来るようになりたい。

if

中学3年生の秋 青森の秋は早い 夏も短いけれども 秋が来るのが早いのである 私は青森のその季節が好きだった。日が落ちて木々のシルエットを見ながら心地よい冷たい風に吹かれるのが好きだった。合唱コンクールの伴奏の役割、クラスに1人しかピアノを習っているからという理由で私が課題曲も自由曲も弾くような流れになっていたからそうなった。そして私も唯一とりあえず弾けるからと思いやらなきゃとおもっていた。課題曲は弾けたが自由曲が難しくて本番の1週間前になっても弾けなかった。難しくて避けていた自分が悪いのである。夏休みから練習してればいいものの、楽譜をサッと見て明らかに難しい曲だったから夏休み中のピアノ教室に持っていくことをいつも躊躇っていた。ピアノを弾くことは好きではなかった。練習して弾けるようになった曲を自分で弾いてその音を聞くのは好きだったけど、私はピアノは聞くのが好きだなと思いつつ、中学では合唱コンでピアノを弾く人が必要で、弾ける人が1クラスに1人2人しかいなかったから、続けなければいけないと心の中で思いながら続けていた。ピアノが好きな人は難しい曲でも好んで弾いていた。私は物怖じして、自由曲は弾けなかった。それが発覚した時に、母が怒りながらも寝ないで私がピアノの練習をするのを待っていてくれた。夜中に電子ピアノの音を小さくして弾いて、フレーズの境目でいつもつまづくからそこを何度も練習した。練習しても出来ない。時間が迫っている。自分はいままでなにをしてきたんだと思った。夏休みから練習していれば、こんな迷惑はかからなかった。いまから練習しても間に合う目処がたたない。もう既に遅い。自分が嫌になって、ピアノから離れて洗面所に行って、鏡を見ながら自分の首を締めては、怖くなってやめてしゃがみこんだ。朝の5時までそんな調子で練習をして、それでもダメだと思ったから担任と音楽の先生に弾けませんと話しに行った。めちゃくちゃ申し訳なかった。みんなに申し訳なかった。私の様子をみていてくれた2年までの担任の先生は、今後こういうことがないようにしないとなと呼び出して言ってくれた。

それが初めて自分で自分の首を本当に絞めた時だった。絶望を感じたんだと思う。

戦後処理を初める前後からよく絶望を感じてはそうして、頭の血液が滞って膨れてきたあたりで怖くなってやめて若干の酸欠になって。

良くないなあと思う。親がこの様子を知ったら悲しむと思う。それでも苦しい、抜け出せない 過去を後悔することが重なると苦しくなる。

 

雨が降っている。昨日から胃が痛くて、今日は朝起きて頭が痛く目眩と吐き気がしたから仕事を休ませて貰った。椅子に座って休んでいたら、目の前にお菓子の缶があったので開けたらラブリボーイが以前同棲をしていた女性との写真が珍しくきちんと揃えて収まっていた。私は彼を苦しめているんじゃないかと思った。彼は私で最後だからとよく口にする。それに囚われているのではないかと思った。昨日から家に帰ってきていない。連絡を取りたくない時身を消したい時、そういう時もあるから、仕方のないことだと思う。執拗に消息を探ったりしない。しかし悲しくなってしまった。その写真を見て、彼が壁に貼った私の写真がクソに見えた。だからそれを剥がして私が印刷したふたりの写真を燃やそうとして、上手く燃えなかったから水にビタビタに濡らして捨てた。悲しかった。壁に貼ってくれているからいいじゃん かもしれないけど、悲しかった。

本当に帰ってこないで居なくなったらということを考えてみた。とても苦しく悲しくなった。私はそれでも彼のことが好きなんだと思う。でも私のせいで苦しんでいたとしたらそれはいただけないな。自分の宣言に囚われずに単体の幸せを考えて欲しい。それに向かう手伝いは何でもする。捨て身である。

この部屋は雨の音がとても響く。強い雨の中部屋の中で彼を待つ。1日2日飯は食わなくても人は多分死なない。

意思

嫌だって言えた

昨日貰ったピースを吸いたくなった

戦乱の最中にピースが吸いたくなるなんて笑っちゃうなあって思った ピースになりたいし

 

今日は少し寒かった でもずっと寝てたから夜の寒さしか知らない 昨日は夜中から朝までずっと人と話してた 知ってる人も知らない人もみんなと話した お酒飲んでタバコ吸って 流石に朝になってきたら3人しか残らなくて、でもその3人も60%ぐらい満を持してみたいなかんじで ゆっくりじっくり話した なんか良かったなあって思った どうなってもいいやって思ったし頑張ろって思った 

私の周りには温かい人がたくさんいる みんな共感力が高くて尊敬する 私はそんな人達に同じように共感してあげられること、できてないかもしれないけど、どこかのポジションを提供したいなっておもってる 恩返ししたい

寒いのとお腹が空いてるのは精神的にも肉体的にも死に直結する こんなかんじでも私はなにかご飯使ってたべることが癒しになる よくこんな時はお腹空かないっていうけど、泣きながらでもご飯は食べるんだよな私は きちがいなのかわからないけど 生きてはいけるっぽい

life gose on どうなってもいいから日当たりがいいような人になってあったかくいたい

思い出迷子にならないように

一ヶ月前に胃を悪くしてから疲れやすくなったり、背中が痛くなったり、急に踊り出したり歌い出したり笑いだしたり、ともすれば夜に頭が痛くなった翌日の昼間には理由も分からず泣いてしまう。そして体が重くなり、本当に動きたく無くなってしまって。眠りにつく時、このまま起きることはないんじゃないかと思うくらい、目を閉じ眠りにつき明日の陽の光が指す朝を迎えられないのではないかという得体を知れない不安と諦め、そう諦めていたら多重夢を見て、目が覚めて、今度は日の入りが何度もループする夢を見た。落ち込む原因があった訳でもなく、途端に沈んで死にたくなった訳でもない。分からないけどパチッとスイッチして、どこまでも続く道を砂利が地面と擦れるおとをさせながら引きずり歩きをするような、低空飛行のような、終わりが見えない。

 

転じてくだらない事でずっと笑っている時もある。最近はその、躁のスイッチが、あ、今入ったというのがわかる時があった。それが今日までつづいて、頭の中が喚いて、久しぶりに頭の回転を故意に抑えた。

 

明日は卒業式である。

1ヶ月ぶりに山形に来た。不思議な感覚。4年間だけ、地元でもない田舎に住んでいた。そこから離れて、住人ではなく観光として、今山形にいる。へんなかんじ。自分が山形に住んでいたことが、本当にあったのだろうかって、少し不思議に思いその後に鑑賞にひたる。住人ではなくなったからには長く居るようなところではない。私は明日早々と山形を去るのよ。

4年間の終止符を打つである。最後の夜なのである。高層のホテルから街を一望する。いろいろあったのだろう。他人事みたいだけど。今とタイムラインが違うように感じる。過去に置いてきた時間軸。また新しい時流に乗って私は生き続ける。泣きながらでも、そろそろと、歩んでいきたい。これからは。これからも。

私を作ってくれた時間たち、山形、

thank you all .