戦後処理

日記

Alone

謝っても五月蝿いと言われることがある。高校生ぐらいからそういう機会が増えた。しょうがないことである。謝るという行為はこちら側の勝手であり、許されたいという気持ちも同様である。私はこの先許せないと思うことがあるのだろうかと今打ってて気付いたけれども、許せない 今の私の経験値からすると許せないことはそういえばあった。大人になれば許せるのだろうか。人それぞれ色々あるからなで許せることが増えるのだろうか。度量の広い人間になりたい。でも怒る時は正当に怒りたい。でも怒るというのは二次的感情で、その前に発生した感情を伝えて話し合って解決したい。でも話し合えない時だってある。でも話し合えないという関係性は良くないから、話会える人たちと一緒にいたい。でもが続く。そして私はこの思考の中で自分が許す立場になる方に思考をすり替えている。これが私がよく親しい人に言われる被害者意識が在るということなのだろうか。被害者意識ってなんだろう、分からないな。被害者意識がなくなればどんな感じになるんだろう。親しい人以外に父親からも私は被害者意識が強いと言われたから、本当にそうなのかもしれない。

なめられたくないと思い逆鱗に触れられた時はちゃんと怒るようにした。でも理由を話したら逆ギレされると思いそういう時は黙るようにした。そして逆に相手を不快にさせてしまった時は謝る。謝ってもうるさいと言われた。何回も謝るなと言われた。私が思うに双方なめられたくないからきっかけがある時に強く出るという歪んだことになっていると思う。よくない側面だと思う。そして私は今日不快にさせてうるさいと言われ嫌な顔をされた(させてしまった)ため、辛くなってしまった。こういうのが被害者意識なのだろうか。そして現実逃避。こんなんでいい大人になれるのかな。セクシーでいい匂いがするあきらかにいい大人に。なれるのかな。私の寿命は40代らしい。それまでに、なれるのかな。私の尊敬する大人たちはみんな40代を超えている。子供のまま、中途半端な大人なまま人生を終えるのかな。