戦後処理

日記

Bless you

誠実に生きたいというのは私の大学1年後半からの人生のモットーである。なんでそうおもったのかはあまり覚えていない。でも何度も忘れないように頭で唱えていた 一時期なにか大切にしていたことがあった気がするけどその言葉が出てこないと罪悪感に苛まれた時もあった。

 

戦後処理という言葉を覚えた時である、6月初頭ぶりに文芸学科の先生と、友達と3人でお話をした。友達が少し遅れてきたので最初は少しだけ先生と2人で話した。沖田最近元気?と言われ、前回よりはだいぶ元気になりました。と、就活の進み具合とか学祭で本を売ったこととかファッションショーのお手伝いをしたこととか、授業は休まず受けてることとか 話した。友達が来て、沖田が結構頑張ってるそうじゃない と。そうなんですよねえがんばってる と友達。売った本の構成とか就活への準備の仕方とか卒制への姿勢とか、諸々話した後、でもその日の結構序盤に先生が、沖田は全てのことに誠実すぎる どこで力抜いてんの?笑と言われた。確かに私はこれまで誠実に生きることをモットーにして来ました。それが体現できていたのは嬉しいのですが、そんなですか? 全然力抜いてますよ お風呂とか入んない時あるし-もっと風呂入んなくてもいい笑 そんなに全てに対して誠実さを貫けた人って、ブッタくらいしかいないんじゃない?笑 いつか崩れちゃうよ

そうなのかなあ…とも思ったし否定しきれない。罪悪感や責任感は感じやすい。ああ調子が悪くて。覚えていたいことも忘れてしまうな でも自分は自分が思ってる以上に頑張ってるみたいだし 早めに回復しているみたい 先生も友達も友達も友達も言ってた

でも最近結構常に泣きそうなのである

不安が多い でもやらなきゃいかんから手はちょっとでも動かしている。休み休み。でもそれも呑気なのかな。違うよって言われたいわけじゃない。でも自虐に走ってしまう。自分で自分の首をしめている。初夏の自分と似ているところがある。なにがきっかけなのか。治っていなかったのか。

最近は友達といることが多い。無理だなあって思った時に、友達が心配してくれて1時間くらい電話して話してくれた。死にかけていたところから人類の進化的な展開で猿人からホモサピエンスになるかんじで起き上がることができた。その後後輩の子が運転してくれて一緒にワンオク聞いて歌って神社行って真っ暗やな〜って散歩して足湯してお家まで送ってもらった。その日はなにもなしに2時くらいに眠れて、今日はすっきりめに起きれた。

学祭の後に、類は友を呼ぶが体現されたものを目の当たりにして、そのことに感涙してしまっていたけれど、私の周りの人たちは本当にみんなありがたいひとたちばかりだとおもう。あまりにも あまりにも優しくて、自分をすり減らして私を助けてくれていないか心配になる。どうか自分を一番に考えてほしい。

人と同じ時間を同じ空間で共有できたことはすべて尊きものだとおもう。大学で友達と話した時間、友達の部屋でおやすみっていって電気消してお互い寝た時間、ファッションショーの準備をひとつの部屋でみんなでやっていた時間、暗い〜寒い〜あっつ〜きもち〜と足湯した時間、すべて尊ぶべきものと思う。そんな全ての時間に対して感動でうるうるになる。有難いなあっていう気持ちがあるのだろうか。こんな自分と一緒に過ごしてくれてありがとうっておもってるから泣きたくなるのかな。それとちょっぴりの不安。走馬灯が始まっている気がするから。まああまり深く考えないようにする。

認知療法と根性論は違う。私は確かにいま頑張っている。今日の卒制の面談で、「沖田にはこれができる!」って結構強めに言われた。嬉しかったし少し恥ずかしかった。できると言われたらできる気がする。自分的に作業の丁寧さが60パーぐらいのものに、これくらいの完成度は絶対だねと言われた。もっと丁寧に、できます!!がんばってるね。私は頑張っている。でも期限内にこなせるような調子の良さではない。全てが終わったら自分はどうなるのかわからないような もしかしたらこなせないかもしれないという危機感 ちゃんと病院予約しました 

今の私に対比の根性論はいらねんだ

自分でやってくし、違ったら違うと言って欲しい それだけ でも自分が欲しい言葉だけが貰えるほど世間は甘くないのだけれども。

 

あれから自分の鬱の周期を掴むためにブログ始めたんですよ。それ、戦後処理って名前でやってますっていったら文芸の先生も友達もわろてた。最近調子良かったんですけど、また前みたいな症状が垣間見えてきて。だから、戦後はいつまでも戦後だなって思いました-笑-

戦後はいつの間にか終わってっから!

だってさーそうなのかあ、それまで、それまでってかんじ。